思考
2012年05月13日
1 名前:以下、はてなにかわりまして元増田がお送りします。 投稿日:2012/05/11 12:43:27
とうことですねよ。これに関して、セキュリティの専門家、高木浩光さんと、武雄市長が論争を繰り広げています。
ただ、法律の専門用語が多かったりして難しいので、偏差値3でもわかるように、要約・解説してみました。
武雄市長「図書館の貸出履歴は、現行法の「個人情報」に該当しない。したがって、問題がない」
高木浩光氏「現行の「個人情報」の定義が遅れている。不備がある。現行の解釈では個人情報が守れない」
という議論をしています。もう少し詳細に見ていきましょう。
武雄市市長の主張は、以下のようなものです。(元リンク http://hiwa1118.exblog.jp/15848122/)
・現行の個人情報の定義は「生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)をいう。」
・したがって、貸出履歴は個人情報に該当しない。なぜなら、容易に個人を特定できないから。
・よって、高木はファック。俺は経産省出身。
という論理です。文章は自意識がひりでて読みにくいのですが、役人的論理としては、しっかり筋を通しているあたりは流石ですね。要するに、法律論でのかっこつきの「個人情報」に害というしなので問題ねぇぜ!というお話です。
一方、高木さんの主張は以下のようになります。(元リンク http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20120508.html)
・現行の個人情報の定義に不備がある。たとえば、スマホアプリの端末IDに紐付いた行動履歴等は現行法では個人情報ではないが、個人のプライバシーに関わる重要な情報である。
・アメリカでも、スマホ端末IDに紐付いた行動履歴をプライバシーとして定義するようになっている。
・IDに紐付いた貸出履歴は、上の定義でいえば、個人情報に該当する。
・加えて、営利企業であるCCCに貸出履歴を提供することは、図書館の自由に関する宣言に反する。
という論争であって、要するに、論点は以下の3つになります。
・現行の「個人情報」の解釈が遅れているか否か問題
・CCCの管理する「IDに紐付いた貸出履歴が個人情報に該当するか」問題
・図書館の自由を守るべきか否か問題
の3つになります。では、具体的に諸論点をみていきましょう。
武雄市長の主張は確かに筋が通っています。つまり、現状ではTカードに紐付いた貸出履歴・行動履歴は「個人情報」に該当しないと述べることができます。
この解釈の上では、みなさんが使っているスマホの端末IDに基づいた利用情報も「個人情報」ではありません。
でも、IDと複数の情報が結びつくことで、個人を特定できる場合がありますよね。だから、米国の消費者権利章典では、IDに紐付く利用履歴・行動履歴は、パーソナルデータとして定義されています。
また、日本でも提言レベルでは、同種の配慮をするべきだとの主張がされています。
流出したら嫌な個人情報というのは、生年月日・氏名だけではないですよね。
たとえば、僕が「淫乱娘Aチーム」というのをTSUTAYAで借りている。さらに、僕がある珍しい難病にかかっていて、その関連書を図書館であさり読んでいるとします。
これが流出したら、IDという形で匿名化されていても、僕を知っている人は、僕個人を容易に特定できます。さらに、下手に氏名が流出するより、社会的なダメージが大きいですよね。
IDに紐付いて様々な行動情報が収集されるようになりました。詳細な点と点を結びつければ、該当の個人へと繋がる線をつくるのは難しいことではない。
だから、「IDに紐付く行動履歴」も個人情報として考えようよ、というのが最近の潮流になっています。
ただ、武雄市長が述べているように、「現行法では問題ない」のも、また事実です。
このグレーな部分をどう解釈するか、という問題になるでしょう。
現行では問題がないと解釈することが出来るのは、先に触れたとおりです。
ただ、経済産業省の「総務省:行動ターゲティング広告の経済効果と利用者保護に関する調査研究 報告書」を見ると、
ということで、提言レベルでは「ID化しても他の情報との関連で個人がバレるのはマズイよ」という風に問題を認識しているわけですね。
今回の件は、「IDに紐付いて貸出履歴を管理」します。では、「IDに紐付いた貸出履歴」というので、個人を特定できるのか。
結論をいえば、特定できます。
たとえば、マイナーな病気にかかっていて、図書館で自分の関連書を借りているような人の貸出履歴が流出したら、その人が誰かを特定される恐れがありますよね。
上記の報告書でも「特に、書籍の購買履歴や疾病に関する検索履歴などを通じ、思想・信条や身体に関する機微情報が明らかになる懸念)」が指摘されています。
さらに、TSUTAYAの貸出情報とあわさるなんてことがあれば「お前、団地妻と三銃士〜隠された王女の首飾り〜借りとるやん!」なんてのがわかってしまう。
貸出履歴でも、個人を特定することは不可能ではありません。
ということで、「」つきではない、個人情報に貸出履歴が該当する可能性が高いと考えるのが妥当です。
セキュリティの議論から離れて、図書館が利用者の貸出履歴を行政に差し出すのは、図書館の自由に関する宣言に反するという問題もあります。
図書館というのは、戦前は思想善導機関として機能していた歴史があります。思想善導機関として、「あるべき思想」を押し込むために、国民の知る自由を妨げてきてしまった。
その反省の上に、「図書館の自由」が宣言されました。図書館は、思想統制の歴史を繰り返さないために、
のように宣言。他にも検閲への反対は有名ですね。
要するに「図書館というのは、民主主義の根本である『知る』を支える機関だから、それを守るために利用者の貸出履歴も守る。」ということですね。
「共産主義の本をかりている奴らがいました。奴らはアカです」なんて報告されたら、思想の統制なんて簡単ですから。
もちろん、宣言ですから法的な拘束力はないです。図書館法には貸出履歴の提出を禁じるという部分があるわけでもない。
でもな、違うんだよ!!!
これを認めちまったら、図書館の自殺と同じだよ。「何を読むか」が弾圧につながった時代を経験してきたからこそ生まれた「利用者の秘密を守る」とか検閲への反対がある。それこそが「知恵の保護者」たる今の図書館のアイデンティティなんだよ。
それだけは知恵の機関たる図書館が絶対に、絶対にゆずちゃいけないところだ。
で、もちろん、今回の件は、図書館の自由に反します。TSUTAYAも武雄市も外部ですから。
この点武雄市長は「単なる部族社会の宣言」と述べて、退けています。
おい、どれだけの歴史があって、苦心があって、図書館の自由に関する宣言が生み出されていると思ってんだ。てめぇの薄っぺらい頭髪の何兆倍の厚みがあると理解してんだ?Ah?
いいから黙ってマザーファックしとけ、このアスホール野郎。
はい、ということで議論をまとめると、
・現行の解釈下での「個人情報」には、TSUTAYAに提供する貸出履歴は該当しないということができる。
・しかし、アメリカ、経産省の提言レベルでは「IDに紐付いた行動履歴」はプライバシー、個人情報と考えられるようになってきた
・なぜなら、難病患者などは、貸出履歴でも個人を特定できてしまうから。
・今回の貸出履歴の問題は、「IDに紐付いた行動履歴」なので、法律上問題ないにしても、流出すればプライバシーを大きく侵害するおそれがある
・さらに、利用履歴を提供するのは、図書館の自由に関する宣言に反する(これ、大事)
となります。
以上を踏まえた上で、みなさんはどう考えますか?
参考URL
・http://hiwa1118.exblog.jp/15848122/
・http://d.hatena.ne.jp/next49/20120510/p1
・http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20120508.html
この記事を読む
目次
- 今回の問題
- 1分でわかる論争の要約だよ!
- 論点1 現行の「個人情報」の解釈が遅れているか否か問題
- 論点2 CCC(TSUTAYA )の管理する「IDに紐付いた貸出履歴が個人情報に該当するか」問題
- 論点3 図書館の自由を守るべきか否か問題
- まとめ
今回の問題
「図書館の貸出履歴をカルチュア・コンビニエンス・クラブに提供し、TカードのIDとヒモ付て管理することは、プライバシー上問題がないか」とうことですねよ。これに関して、セキュリティの専門家、高木浩光さんと、武雄市長が論争を繰り広げています。
ただ、法律の専門用語が多かったりして難しいので、偏差値3でもわかるように、要約・解説してみました。
1分でわかる論争の要約だよ!
お二人の議論を整理すると、武雄市長「図書館の貸出履歴は、現行法の「個人情報」に該当しない。したがって、問題がない」
高木浩光氏「現行の「個人情報」の定義が遅れている。不備がある。現行の解釈では個人情報が守れない」
という議論をしています。もう少し詳細に見ていきましょう。
武雄市市長の主張は、以下のようなものです。(元リンク http://hiwa1118.exblog.jp/15848122/)
・現行の個人情報の定義は「生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)をいう。」
・したがって、貸出履歴は個人情報に該当しない。なぜなら、容易に個人を特定できないから。
・よって、高木はファック。俺は経産省出身。
という論理です。文章は自意識がひりでて読みにくいのですが、役人的論理としては、しっかり筋を通しているあたりは流石ですね。要するに、法律論でのかっこつきの「個人情報」に害というしなので問題ねぇぜ!というお話です。
一方、高木さんの主張は以下のようになります。(元リンク http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20120508.html)
・現行の個人情報の定義に不備がある。たとえば、スマホアプリの端末IDに紐付いた行動履歴等は現行法では個人情報ではないが、個人のプライバシーに関わる重要な情報である。
・アメリカでも、スマホ端末IDに紐付いた行動履歴をプライバシーとして定義するようになっている。
・IDに紐付いた貸出履歴は、上の定義でいえば、個人情報に該当する。
・加えて、営利企業であるCCCに貸出履歴を提供することは、図書館の自由に関する宣言に反する。
という論争であって、要するに、論点は以下の3つになります。
・現行の「個人情報」の解釈が遅れているか否か問題
・CCCの管理する「IDに紐付いた貸出履歴が個人情報に該当するか」問題
・図書館の自由を守るべきか否か問題
の3つになります。では、具体的に諸論点をみていきましょう。
論点1 現行の「個人情報」の解釈が遅れているか否か問題
武雄市長の主張は確かに筋が通っています。つまり、現状ではTカードに紐付いた貸出履歴・行動履歴は「個人情報」に該当しないと述べることができます。
この解釈の上では、みなさんが使っているスマホの端末IDに基づいた利用情報も「個人情報」ではありません。
でも、IDと複数の情報が結びつくことで、個人を特定できる場合がありますよね。だから、米国の消費者権利章典では、IDに紐付く利用履歴・行動履歴は、パーソナルデータとして定義されています。
また、日本でも提言レベルでは、同種の配慮をするべきだとの主張がされています。
流出したら嫌な個人情報というのは、生年月日・氏名だけではないですよね。
たとえば、僕が「淫乱娘Aチーム」というのをTSUTAYAで借りている。さらに、僕がある珍しい難病にかかっていて、その関連書を図書館であさり読んでいるとします。
これが流出したら、IDという形で匿名化されていても、僕を知っている人は、僕個人を容易に特定できます。さらに、下手に氏名が流出するより、社会的なダメージが大きいですよね。
IDに紐付いて様々な行動情報が収集されるようになりました。詳細な点と点を結びつければ、該当の個人へと繋がる線をつくるのは難しいことではない。
だから、「IDに紐付く行動履歴」も個人情報として考えようよ、というのが最近の潮流になっています。
ただ、武雄市長が述べているように、「現行法では問題ない」のも、また事実です。
このグレーな部分をどう解釈するか、という問題になるでしょう。
論点2 CCC(TSUTAYA )の管理する「IDに紐付いた貸出履歴が個人情報に該当するか」問題
現行では問題がないと解釈することが出来るのは、先に触れたとおりです。
ただ、経済産業省の「総務省:行動ターゲティング広告の経済効果と利用者保護に関する調査研究 報告書」を見ると、
我が国では ID 化する等して個人識別情報(氏名等)を匿名化した場合であっても、その他の情報で個人が推知される場合は個人情報となりうる場合があると解釈されている
ということで、提言レベルでは「ID化しても他の情報との関連で個人がバレるのはマズイよ」という風に問題を認識しているわけですね。
今回の件は、「IDに紐付いて貸出履歴を管理」します。では、「IDに紐付いた貸出履歴」というので、個人を特定できるのか。
結論をいえば、特定できます。
たとえば、マイナーな病気にかかっていて、図書館で自分の関連書を借りているような人の貸出履歴が流出したら、その人が誰かを特定される恐れがありますよね。
上記の報告書でも「特に、書籍の購買履歴や疾病に関する検索履歴などを通じ、思想・信条や身体に関する機微情報が明らかになる懸念)」が指摘されています。
さらに、TSUTAYAの貸出情報とあわさるなんてことがあれば「お前、団地妻と三銃士〜隠された王女の首飾り〜借りとるやん!」なんてのがわかってしまう。
貸出履歴でも、個人を特定することは不可能ではありません。
ということで、「」つきではない、個人情報に貸出履歴が該当する可能性が高いと考えるのが妥当です。
論点3 図書館の自由を守るべきか否か問題
セキュリティの議論から離れて、図書館が利用者の貸出履歴を行政に差し出すのは、図書館の自由に関する宣言に反するという問題もあります。
図書館というのは、戦前は思想善導機関として機能していた歴史があります。思想善導機関として、「あるべき思想」を押し込むために、国民の知る自由を妨げてきてしまった。
その反省の上に、「図書館の自由」が宣言されました。図書館は、思想統制の歴史を繰り返さないために、
第3 図書館は利用者の秘密を守る
1. 読者が何を読むかはその人のプライバシーに属することであり、図書館は、利用者の読書事実を外部に漏らさない。ただし、憲法第35条にもとづく令状を確認した場合は例外とする。
のように宣言。他にも検閲への反対は有名ですね。
要するに「図書館というのは、民主主義の根本である『知る』を支える機関だから、それを守るために利用者の貸出履歴も守る。」ということですね。
「共産主義の本をかりている奴らがいました。奴らはアカです」なんて報告されたら、思想の統制なんて簡単ですから。
もちろん、宣言ですから法的な拘束力はないです。図書館法には貸出履歴の提出を禁じるという部分があるわけでもない。
でもな、違うんだよ!!!
これを認めちまったら、図書館の自殺と同じだよ。「何を読むか」が弾圧につながった時代を経験してきたからこそ生まれた「利用者の秘密を守る」とか検閲への反対がある。それこそが「知恵の保護者」たる今の図書館のアイデンティティなんだよ。
それだけは知恵の機関たる図書館が絶対に、絶対にゆずちゃいけないところだ。
で、もちろん、今回の件は、図書館の自由に反します。TSUTAYAも武雄市も外部ですから。
この点武雄市長は「単なる部族社会の宣言」と述べて、退けています。
おい、どれだけの歴史があって、苦心があって、図書館の自由に関する宣言が生み出されていると思ってんだ。てめぇの薄っぺらい頭髪の何兆倍の厚みがあると理解してんだ?Ah?
いいから黙ってマザーファックしとけ、このアスホール野郎。
議論のまとめ
はい、ということで議論をまとめると、
・現行の解釈下での「個人情報」には、TSUTAYAに提供する貸出履歴は該当しないということができる。
・しかし、アメリカ、経産省の提言レベルでは「IDに紐付いた行動履歴」はプライバシー、個人情報と考えられるようになってきた
・なぜなら、難病患者などは、貸出履歴でも個人を特定できてしまうから。
・今回の貸出履歴の問題は、「IDに紐付いた行動履歴」なので、法律上問題ないにしても、流出すればプライバシーを大きく侵害するおそれがある
・さらに、利用履歴を提供するのは、図書館の自由に関する宣言に反する(これ、大事)
となります。
以上を踏まえた上で、みなさんはどう考えますか?
参考URL
・http://hiwa1118.exblog.jp/15848122/
・http://d.hatena.ne.jp/next49/20120510/p1
・http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20120508.html
2012年04月13日
1 名前:以下、はてなにかわりまして元増田がお送りします。 投稿日:2011/09/07 06:23:09
pixivのランキングで1位を取った。デイリーもウィークリーも。自分で言うのも何だけど、なかなかできないことだと思う。
初めて同人誌の即売会にサークルで参加したら、新刊きっちり完売した。ファンだという人達から、差し入れやファンレターをたくさんもらったり、スケブやサインを頼まれたりもした。
本当に嬉しくて、ありがたくて、緩みかけた涙腺を引き締めながら何度も何度もありがとうございますと頭を下げた。自分のような奴にも、こうして応援してくれる人がいる。
ツイッターの被フォロー数もどんどん増えた。一時期は四桁、フォロー数の四倍近くにもなって、「◯◯さんの作品、好きです!」「これからも頑張ってください!」というリプライをちょくちょく貰い、やっぱり何度言われても嬉しい。
これは自慢以外の何物でもない。だけどそれはあくまでここが匿名の場だから書き込んでいるだけであって、さすがにこういった場以外で、わざわざこんなことを言うような人間でもないとあらかじめ言っておく。やっぱり嫌われるのは怖いからだ。僕の作品の読者の方々には心の底から本気で感謝しているし、これからもその期待に全力で応えていきたいという気持ちにも偽りはない。自分は本当に恵まれてるなと感じている。
ところが不思議な事が起きる。たとえば僕が「おはようございます」とか「おやすみなさい」などをpostする。するとなぜか、一件もリプが返ってこない。
TLに比較的人が多い時間帯にpostしてもそれは変わらず、僕が他の人のそういった挨拶系のpostに積極的にリプを飛ばしても、僕がpostすれば誰からも返ってこない。
そんなことがもう一年以上も続くと、さすがに辟易として挨拶のpostをするのを止めてしまった。「みんな、僕のpostに気付いてないんだろうか?」とも思ったんだけど、あれだけフォロワーがいてそれはさすがにおかしいと感じ、結局原因はわからないままだった。
ところが、僕がいわゆる「ネタpost」をすると、結構な数にふぁぼられる。説明の必要があるかどうかわからないけれど、この「ふぁぼ」というのは、他人のpostをお気に入りに入れることだ。
おかげで一時期は、100fav以上のネタpostを連発するようなときもあった。これはつまり、「僕のpostは誰にも気付かれていない」ということを否定する材料でもある。
ツイッターでは出来る限り、弱音や愚痴や他人の悪口、誘い受けなど、読んだ人が気分を害したり反応に困るようなpostはしないように努めてきたつもりだった。リプライだってできる限り自分から飛ばすようにして、コミュニケーションも怠ってはいなかった。おかげで一緒にオフで飲みにいけるような知り合いも増えた。
しかし、たまに挨拶のpostをすれば相変わらずリプは返ってこない。それでもネタpostをすればふぁぼられるし、pixivに新作をあげればランキング入りする。作品のブックマークには何人かお馴染の顔がいる。もちろんpostがふぁぼられればそれはそれで嬉しいので、気がつけば僕のpostは、他のユーザーとの必要なコミュニケーションを除けば、ネタpostばっかりという状況になった。
で、今ツイッターでは「ザ・インタビューズ」というサービスが流行っている。登録してアドレスを晒せば、誰かから何かしらの質問をもらえて、それに回答するというものだ。
有名なツイッターユーザーや知り合いの同人作家達が自分に投げかけられたたくさんの質問に答え、新しいコミュニケーションを図っている。僕も積極的に質問を投げかけたりしてみた。
もちろん彼らのみに限らず、僕よりずっとフォロワーの少ないユーザーや、普段あまり他のユーザーとコンタクトを取らないようなユーザーも、自分宛の質問に回答し、インタビューズというサービスを楽しんでいた。
あまりにも楽しそうだったので、僕も自分のアドレスを晒し、質問を待ってみた。普段はこういう、かまってちゃんのような要求をしないように心がけてる僕も、この誘惑には勝てなかった。
ところが、何度アドレスを晒しても、丸三日待ち続けても、誰からも質問がこなかった。僕をリストに入れる人は結構いたのに、肝心の質問が一件もこないのだ。
結局僕はインタビューズを退会してしまった。TL上でフォロワー達が自分の趣味や嗜好、同人作家やライターならそれこそこだわりの創作論や技術論など、時には真面目に、時にはジョーク交じりで答えている姿を見て、本気で羨ましかった。かまってちゃん乙と言われればそれまでだろうけれど、他人に向けて作品を発表する人間は大抵、人一倍承認欲求が強いものである。
僕には全くわからなかった。これだけのフォロワーがいて、「ファンです」と言ってくれるような人達もいて、出来る限り嫌われるような言動も避けているうえ、コミュニケーションも怠らないようにしてるのに、ネタpostはふぁぼられても、どうして質問が全く飛んでこないのか。何故僕の挨拶にリプライが一件も飛んでこないのか。
みんな、「僕がした何か楽しげなこと」にのみ興味があり、「僕個人」には全く興味がないのか。僕はそんなに人間的な魅力に欠けているのだろうか。
思えば昔から口下手であまり友達作りの上手い方ではなかった僕は、誰かにかまってもらいたい一心でみんなの前でギャグを飛ばしたり、リクエストに応えて絵を描いてみせたりして、そうすることでようやく友達というものを作り上げることができた。そうしないと誰からも関心を持ってもらえなかったからだ。
社会人になった今でもそれは変わらず、職場の同僚の前でわざわざウケ狙いのようなことをするか、仕事を納期に一度も遅らせることなく必死にこなすことでやっと、社内で孤立しないですんでいるような状況にある。
だけど周りを見渡せば、これといった特別なことをしなくても周囲と円滑にコミュニケーションを図れる人がたくさんいる。僕のように何かを必死にアピールしなくても、そつなく周囲との関係を築ける人達ばっかりだった。僕はそれが不思議でならなかった。みんなどうやって他人の関心を引いてるんだろう。どこでそれを学んできたんだろう。どうしてみんなにできることが、僕にはできないのか。要領の問題だろうか。
たかだかインターネットのサービスひとつで何をと思うかもしれないけれど、みんなのあまりの無関心ぶりにさすがにちょっと気が滅入って、ここまでくるともう、本当は僕の作品の読者なんて誰もいなくて、僕が褒められて喜んでいるところを見て、みんなで笑っているだけなんじゃないか?とさえ思うようになってきた。完全に被害妄想だ。
もちろん、そんな考えを持つこと自体、僕を応援してくれて僕の作品を「好きです」と言ってくれる人達に対する不義理以外の何物でもないことはわかっているけれど、さすがにここまで僕という「個人」に対する無関心が積み重なると、僕に評価というものをくれたあらゆるものが疑わしくなってくる。今では周囲の関心を引くためだけに、自分は作品を書いているんじゃないかという気すらしてきた。ネットでも現実社会でも、万が一みんなに飽きられたら、僕はどうなるんだろう。
もしかしたら僕がどこかで、みんなを幻滅させるような不手際を重ねていて、人の目からは魅力の劣った人間に映っていて、僕がそれに気付いてないだけなのかもしれない。でも我ながら、大の大人が本当に情けないとも思うけれど、わからないものはわからない。人から見ればどうしてこの程度のことで悩めるのかと笑われるかもしれないし、かまってちゃんが何を言ってるんだと思われるかもしれないけれど、幻滅されるのが怖くてこんなことツイッターでもオフ会でも友人にも話せない。
どうしてそのままでは誰からも、興味を抱かれないんだろう。どうすれば人の興味を引くようなことをわざわざしなくても、関心を持ってもらえるような人間になれるんだろう。
この記事を読む初めて同人誌の即売会にサークルで参加したら、新刊きっちり完売した。ファンだという人達から、差し入れやファンレターをたくさんもらったり、スケブやサインを頼まれたりもした。
本当に嬉しくて、ありがたくて、緩みかけた涙腺を引き締めながら何度も何度もありがとうございますと頭を下げた。自分のような奴にも、こうして応援してくれる人がいる。
ツイッターの被フォロー数もどんどん増えた。一時期は四桁、フォロー数の四倍近くにもなって、「◯◯さんの作品、好きです!」「これからも頑張ってください!」というリプライをちょくちょく貰い、やっぱり何度言われても嬉しい。
これは自慢以外の何物でもない。だけどそれはあくまでここが匿名の場だから書き込んでいるだけであって、さすがにこういった場以外で、わざわざこんなことを言うような人間でもないとあらかじめ言っておく。やっぱり嫌われるのは怖いからだ。僕の作品の読者の方々には心の底から本気で感謝しているし、これからもその期待に全力で応えていきたいという気持ちにも偽りはない。自分は本当に恵まれてるなと感じている。
ところが不思議な事が起きる。たとえば僕が「おはようございます」とか「おやすみなさい」などをpostする。するとなぜか、一件もリプが返ってこない。
TLに比較的人が多い時間帯にpostしてもそれは変わらず、僕が他の人のそういった挨拶系のpostに積極的にリプを飛ばしても、僕がpostすれば誰からも返ってこない。
そんなことがもう一年以上も続くと、さすがに辟易として挨拶のpostをするのを止めてしまった。「みんな、僕のpostに気付いてないんだろうか?」とも思ったんだけど、あれだけフォロワーがいてそれはさすがにおかしいと感じ、結局原因はわからないままだった。
ところが、僕がいわゆる「ネタpost」をすると、結構な数にふぁぼられる。説明の必要があるかどうかわからないけれど、この「ふぁぼ」というのは、他人のpostをお気に入りに入れることだ。
おかげで一時期は、100fav以上のネタpostを連発するようなときもあった。これはつまり、「僕のpostは誰にも気付かれていない」ということを否定する材料でもある。
ツイッターでは出来る限り、弱音や愚痴や他人の悪口、誘い受けなど、読んだ人が気分を害したり反応に困るようなpostはしないように努めてきたつもりだった。リプライだってできる限り自分から飛ばすようにして、コミュニケーションも怠ってはいなかった。おかげで一緒にオフで飲みにいけるような知り合いも増えた。
しかし、たまに挨拶のpostをすれば相変わらずリプは返ってこない。それでもネタpostをすればふぁぼられるし、pixivに新作をあげればランキング入りする。作品のブックマークには何人かお馴染の顔がいる。もちろんpostがふぁぼられればそれはそれで嬉しいので、気がつけば僕のpostは、他のユーザーとの必要なコミュニケーションを除けば、ネタpostばっかりという状況になった。
で、今ツイッターでは「ザ・インタビューズ」というサービスが流行っている。登録してアドレスを晒せば、誰かから何かしらの質問をもらえて、それに回答するというものだ。
有名なツイッターユーザーや知り合いの同人作家達が自分に投げかけられたたくさんの質問に答え、新しいコミュニケーションを図っている。僕も積極的に質問を投げかけたりしてみた。
もちろん彼らのみに限らず、僕よりずっとフォロワーの少ないユーザーや、普段あまり他のユーザーとコンタクトを取らないようなユーザーも、自分宛の質問に回答し、インタビューズというサービスを楽しんでいた。
あまりにも楽しそうだったので、僕も自分のアドレスを晒し、質問を待ってみた。普段はこういう、かまってちゃんのような要求をしないように心がけてる僕も、この誘惑には勝てなかった。
ところが、何度アドレスを晒しても、丸三日待ち続けても、誰からも質問がこなかった。僕をリストに入れる人は結構いたのに、肝心の質問が一件もこないのだ。
結局僕はインタビューズを退会してしまった。TL上でフォロワー達が自分の趣味や嗜好、同人作家やライターならそれこそこだわりの創作論や技術論など、時には真面目に、時にはジョーク交じりで答えている姿を見て、本気で羨ましかった。かまってちゃん乙と言われればそれまでだろうけれど、他人に向けて作品を発表する人間は大抵、人一倍承認欲求が強いものである。
僕には全くわからなかった。これだけのフォロワーがいて、「ファンです」と言ってくれるような人達もいて、出来る限り嫌われるような言動も避けているうえ、コミュニケーションも怠らないようにしてるのに、ネタpostはふぁぼられても、どうして質問が全く飛んでこないのか。何故僕の挨拶にリプライが一件も飛んでこないのか。
みんな、「僕がした何か楽しげなこと」にのみ興味があり、「僕個人」には全く興味がないのか。僕はそんなに人間的な魅力に欠けているのだろうか。
思えば昔から口下手であまり友達作りの上手い方ではなかった僕は、誰かにかまってもらいたい一心でみんなの前でギャグを飛ばしたり、リクエストに応えて絵を描いてみせたりして、そうすることでようやく友達というものを作り上げることができた。そうしないと誰からも関心を持ってもらえなかったからだ。
社会人になった今でもそれは変わらず、職場の同僚の前でわざわざウケ狙いのようなことをするか、仕事を納期に一度も遅らせることなく必死にこなすことでやっと、社内で孤立しないですんでいるような状況にある。
だけど周りを見渡せば、これといった特別なことをしなくても周囲と円滑にコミュニケーションを図れる人がたくさんいる。僕のように何かを必死にアピールしなくても、そつなく周囲との関係を築ける人達ばっかりだった。僕はそれが不思議でならなかった。みんなどうやって他人の関心を引いてるんだろう。どこでそれを学んできたんだろう。どうしてみんなにできることが、僕にはできないのか。要領の問題だろうか。
たかだかインターネットのサービスひとつで何をと思うかもしれないけれど、みんなのあまりの無関心ぶりにさすがにちょっと気が滅入って、ここまでくるともう、本当は僕の作品の読者なんて誰もいなくて、僕が褒められて喜んでいるところを見て、みんなで笑っているだけなんじゃないか?とさえ思うようになってきた。完全に被害妄想だ。
もちろん、そんな考えを持つこと自体、僕を応援してくれて僕の作品を「好きです」と言ってくれる人達に対する不義理以外の何物でもないことはわかっているけれど、さすがにここまで僕という「個人」に対する無関心が積み重なると、僕に評価というものをくれたあらゆるものが疑わしくなってくる。今では周囲の関心を引くためだけに、自分は作品を書いているんじゃないかという気すらしてきた。ネットでも現実社会でも、万が一みんなに飽きられたら、僕はどうなるんだろう。
もしかしたら僕がどこかで、みんなを幻滅させるような不手際を重ねていて、人の目からは魅力の劣った人間に映っていて、僕がそれに気付いてないだけなのかもしれない。でも我ながら、大の大人が本当に情けないとも思うけれど、わからないものはわからない。人から見ればどうしてこの程度のことで悩めるのかと笑われるかもしれないし、かまってちゃんが何を言ってるんだと思われるかもしれないけれど、幻滅されるのが怖くてこんなことツイッターでもオフ会でも友人にも話せない。
どうしてそのままでは誰からも、興味を抱かれないんだろう。どうすれば人の興味を引くようなことをわざわざしなくても、関心を持ってもらえるような人間になれるんだろう。
2011年11月20日
1 名前:以下、はてなにかわりまして元増田がお送りします。 投稿日:2011/11/19 08:23:28
アニメがつまらないというか不愉快な出来なので仕方なく文庫を手にとって読んでますが、面白いすなぁこれ。
いま1巻読み終わったところだけど、私的には1巻から3巻くらいまでが一番面白くてそれ以降は最終巻だけ読めばいいかな、と思ってる。
何が面白いって普通の話と逆の方向に進んでいってるってところがいい。
たいていの物語は、未熟な登場人物が、イベントとか試練を越えて成長し、
青春を卒業して大人への一歩を登り始めるあたりで、男坂のように打ち切られるという話ばかりなのに、
はがないときたら、初期状態が一番キャラの完成度が高い状態で、
それを崩してドロドロに溶かして新しい分子結合をつくろうって感じか。化学の実験のようだ。あるいはダメ蠱毒か。
不完全な印象があるキャラってこだかとよぞらくらいで、後はもうそのまんまでいいんじゃね?って思う。
別の話から持ってくると、人間強度が高いというやつですか? 全員がみそしるの主人公みたいな感じ。
己の信念に従って、求めるものを理解し、理想像をすでに見出している。
仮に現実で友だちを作ってもそれの劣化バージョンにしかならない。
現実なんざトモプラスに劣るし、トモちゃんに劣るし、BLより萌えないし、あにきの方が格好良いし、眷属もいない。つまらない事この上ない。
視野狭窄と言われようと何と言われようと、自分だけで世界を閉鎖系として完成させることができるなら、
今の状態こそが一番幸せじゃない?ね、みーくん。
あえていえば、隣人部も結成時点がもっとも理想的な状態だ。
最も贅沢な生き方とは則ち、正直に生きることである。
現実においては己の正直は誰かを傷つけ、誰かに嫌われ、誰かに潰される。それが世の中のルール。
嘘をつかないという生き方は、あまりに難易度が高い。
だけれども、その正直を許しあう、ただそれだけの関係。
チートと言うか、システムそのものをハックして、ルールをぶち壊しちゃった世界。
そんな世界があればいいよねぇ。 だいがくになってもげんしけんみたいなの欲しいよねぇ。
コミュニケーション?なにそれおいしいの?
twitterは自分が好きなことしゃべるツールであって、賛同以外のリプライは求めてないんですけど?
そういう所で、ついでに恋愛とかセックスもさせていただけると嬉しいですねぇ。
みたいな欲望ダダ漏れの世界観。己の人生を一瞬にかけるその覚悟。清々しいですわ。
いいね、実にいいね。時よ止まれ、今の俺が一番美しいって感じだね。
げんしけんをさらに非生産的に、さらにgdgdに、って発想がすごい。
もうタナトス願望が溢れまくってるね。
次は堕落論とか白痴のエッセンスをラノベ化しないか?舞台は敗戦間際の仮想日本で、オタク活動にいそしむ4人のキリーロフね>作者様
これを読んだ人は他にこんなものを読んでますの欄に「完全自殺マニュアル」「自殺サークル」「20歳の手記」が並んでても驚かないね。
コレ読んで「リア充」とか言って怒ってる人はすごい勘違いしてるよ。
こういうカタチのリア充になりたいなら、それこそ「練炭自殺掲示板」にでも行けばいいと思うよ。
そこで知り合った仲間と運良く恋仲になれれば生還できるんじゃね?って感じ。
・・・正直、読んでてこの乾き具合と生を求めての絶望的なあがきに吐き気がする。
はやく最終巻だけ読んでこの吐き気から解放されたい。(褒め言葉です。私はこの手の吐き気が大好き)
1つだけカップルが成立してこのぬるま湯地獄から脱出して幸せになった後、
残りのみんなは笑顔で自殺するという光景しか浮かばないけどな。
個人的にはこだかさんと夜空以外は、無理に友達なんかつくろうとせずに、
己の道を突き進んでる方がずっと幸せだったんじゃないか?って思う。
この記事を読むいま1巻読み終わったところだけど、私的には1巻から3巻くらいまでが一番面白くてそれ以降は最終巻だけ読めばいいかな、と思ってる。
何が面白いって普通の話と逆の方向に進んでいってるってところがいい。
たいていの物語は、未熟な登場人物が、イベントとか試練を越えて成長し、
青春を卒業して大人への一歩を登り始めるあたりで、男坂のように打ち切られるという話ばかりなのに、
はがないときたら、初期状態が一番キャラの完成度が高い状態で、
それを崩してドロドロに溶かして新しい分子結合をつくろうって感じか。化学の実験のようだ。あるいはダメ蠱毒か。
不完全な印象があるキャラってこだかとよぞらくらいで、後はもうそのまんまでいいんじゃね?って思う。
別の話から持ってくると、人間強度が高いというやつですか? 全員がみそしるの主人公みたいな感じ。
己の信念に従って、求めるものを理解し、理想像をすでに見出している。
仮に現実で友だちを作ってもそれの劣化バージョンにしかならない。
現実なんざトモプラスに劣るし、トモちゃんに劣るし、BLより萌えないし、あにきの方が格好良いし、眷属もいない。つまらない事この上ない。
視野狭窄と言われようと何と言われようと、自分だけで世界を閉鎖系として完成させることができるなら、
今の状態こそが一番幸せじゃない?ね、みーくん。
あえていえば、隣人部も結成時点がもっとも理想的な状態だ。
最も贅沢な生き方とは則ち、正直に生きることである。
現実においては己の正直は誰かを傷つけ、誰かに嫌われ、誰かに潰される。それが世の中のルール。
嘘をつかないという生き方は、あまりに難易度が高い。
だけれども、その正直を許しあう、ただそれだけの関係。
チートと言うか、システムそのものをハックして、ルールをぶち壊しちゃった世界。
そんな世界があればいいよねぇ。 だいがくになってもげんしけんみたいなの欲しいよねぇ。
コミュニケーション?なにそれおいしいの?
twitterは自分が好きなことしゃべるツールであって、賛同以外のリプライは求めてないんですけど?
そういう所で、ついでに恋愛とかセックスもさせていただけると嬉しいですねぇ。
みたいな欲望ダダ漏れの世界観。己の人生を一瞬にかけるその覚悟。清々しいですわ。
いいね、実にいいね。時よ止まれ、今の俺が一番美しいって感じだね。
げんしけんをさらに非生産的に、さらにgdgdに、って発想がすごい。
もうタナトス願望が溢れまくってるね。
次は堕落論とか白痴のエッセンスをラノベ化しないか?舞台は敗戦間際の仮想日本で、オタク活動にいそしむ4人のキリーロフね>作者様
これを読んだ人は他にこんなものを読んでますの欄に「完全自殺マニュアル」「自殺サークル」「20歳の手記」が並んでても驚かないね。
コレ読んで「リア充」とか言って怒ってる人はすごい勘違いしてるよ。
こういうカタチのリア充になりたいなら、それこそ「練炭自殺掲示板」にでも行けばいいと思うよ。
そこで知り合った仲間と運良く恋仲になれれば生還できるんじゃね?って感じ。
・・・正直、読んでてこの乾き具合と生を求めての絶望的なあがきに吐き気がする。
はやく最終巻だけ読んでこの吐き気から解放されたい。(褒め言葉です。私はこの手の吐き気が大好き)
1つだけカップルが成立してこのぬるま湯地獄から脱出して幸せになった後、
残りのみんなは笑顔で自殺するという光景しか浮かばないけどな。
個人的にはこだかさんと夜空以外は、無理に友達なんかつくろうとせずに、
己の道を突き進んでる方がずっと幸せだったんじゃないか?って思う。
2011年11月19日
1 名前:以下、はてなにかわりまして元増田がお送りします。 投稿日:2011/11/18 11:47:59
中二病系と言われるやつがわかりやすいけど、別に中二病系に限った話ではなくラブコメとかでもそう。
世界滅ぼすとか、問題解決してみんなハッピーとかそういうのはわかりやすくてええし、結末はそうあってほしいんだけど。
なんといえばいいのか、主人公たちの攻撃力は高いわりに、防御力はどうやねん、って思うのが多い。
結構器は小さそうなのに、攻めるときだけガンガンいこうぜ状態で、周り見えてないけど結局うまく行っちゃうとか、そういうのはちょっとなぁ。
プロレスじゃないけど、もうちょっと主人公が物語世界の人間関係やら環境の理不尽をちゃんと受けきった上で攻めて欲しい。
攻撃力と防御力のバランスがあまりに崩壊してると、すごく、さめる。
一番嫌いなのは、クールとか鈍感な感じで、周りの人間の気持ちを受け止めるのを避けてるくせに
勝利が確定した時に急に覚醒しちゃうやつとか。
コミュニケーションとか駆け引きとか完全に無視じゃんそれ。どこまで据え膳やねん。
どちらかというと、鈍感な時よりも、覚醒モードになった後にイライラする。読後感が最悪。
正論ばっかりでリスクを考慮してない主人公とかも萎える。
リスクとか考慮して、戸惑いながらも、えいやで決断するとか最低そのくらいの描写がないと
ただのキチガイにしか見えない。
ただでさえこっちは
「主人公だから死なないんだろ、死なないってわかってるからこういうことできるんだろ」って斜めから見てるのに
書き手から主人公からが、その前提に安易にのっかかってあぐらをかいてるのを見るともう壁殴りたくなる。
ごめん、どう表現していいのかわからず、わけわからん文章になってしまった。
とらドラ!とかいいよね、という話がしたかったのだけど。
この記事を読む世界滅ぼすとか、問題解決してみんなハッピーとかそういうのはわかりやすくてええし、結末はそうあってほしいんだけど。
なんといえばいいのか、主人公たちの攻撃力は高いわりに、防御力はどうやねん、って思うのが多い。
結構器は小さそうなのに、攻めるときだけガンガンいこうぜ状態で、周り見えてないけど結局うまく行っちゃうとか、そういうのはちょっとなぁ。
プロレスじゃないけど、もうちょっと主人公が物語世界の人間関係やら環境の理不尽をちゃんと受けきった上で攻めて欲しい。
攻撃力と防御力のバランスがあまりに崩壊してると、すごく、さめる。
一番嫌いなのは、クールとか鈍感な感じで、周りの人間の気持ちを受け止めるのを避けてるくせに
勝利が確定した時に急に覚醒しちゃうやつとか。
コミュニケーションとか駆け引きとか完全に無視じゃんそれ。どこまで据え膳やねん。
どちらかというと、鈍感な時よりも、覚醒モードになった後にイライラする。読後感が最悪。
正論ばっかりでリスクを考慮してない主人公とかも萎える。
リスクとか考慮して、戸惑いながらも、えいやで決断するとか最低そのくらいの描写がないと
ただのキチガイにしか見えない。
ただでさえこっちは
「主人公だから死なないんだろ、死なないってわかってるからこういうことできるんだろ」って斜めから見てるのに
書き手から主人公からが、その前提に安易にのっかかってあぐらをかいてるのを見るともう壁殴りたくなる。
ごめん、どう表現していいのかわからず、わけわからん文章になってしまった。
とらドラ!とかいいよね、という話がしたかったのだけど。
2011年11月16日
1 名前:以下、はてなにかわりまして元増田がお送りします。 投稿日:2011/11/15 00:38:58
ブログを書かなくなって久しいが、復活にむけリハビリがわりに増田に書いてみる。
もっとも、大学教員である私が学生指導を通じて感じた知性について今日は書きます。
案外、中等教育期間中に体力づくりのための運動をすることは頭を良くするためにも大変理にかなっていると思う。また、特にチームスポーツであればリーダーシップを学べるので良いと思う。自分の子供にはそうさせてやりたい。
とくに運動が苦手な人を中心に、大学生になると定期的に運動する習慣を失う人が多いが、案外知性の獲得に向けてよろしくないような気がする。
もっとも、知性ある親はしっかりしつけるし、知性が獲得させた様々な社会的資源を活用して子育てするから、親は選べないということは本当に不公平なことであると思う。
人間は感情が優先される動物なので、都合の悪い(=悪い感情を引き起こす)現実は直視したがらない。そのため、基本的な知性が乏しい(=コントロールできる感情の水準が低い)と、自分にとって不都合な真実を理解しようとしないために、理解できる法則に限界がある。結果として応用的な知性(職業的に求められる能力など)も獲得されにくい。
社会的に成功する人、特に経済的に成功する人の中には、性格的にユニークな人が多い。やはり、人並み外れた目立ちたがりだったり、強い欲望を元に事業を成功させるような人は強烈なエネルギーを持ち回りを引っ張ったりする。その人が良い人である場合もあるが、その様な強烈な感情は何らかのコンプレックスであることも多く、「良い人」でないこともままある。
というより、日本的な文化の中で、冷静に周囲と調和して生きるよう指導されているのは、社会が安定を求めるがゆえに、大半の貧民・庶民に隷属を強要することの裏返しかもしれないとすら思う。一方、親が金持ちだったり、社会的なポジションを有するようなケースでは、根拠の無い自信を持っているような奴もいて、比較的楽にリーダーシップを握ったりするなど、成功に近づく。社会階層が最生産される精神構造がそこにはある。
だいたいにおいて、賢い人は見た目も良い。もっとも、私は「見た目」に二種類あると考えている。一つは持って生まれた「造作」の良し悪しであり、もう一つは後天的に獲得した、あるいは経験した感情によって作られる「面構え」のようなものだ。前者はいかんともしがたいは物理的必然であるが、後者は自分の心持ちによってある程度コントロールすることが可能である。(もっとも、そのそれを改善するような心持ちを持てるかどうかも基本的な知性によるのだが。)
10代の間の見た目はまだ前者の「造作」によるものが大きい。しかし、大学を卒業するぐらいの年令になると、どのような経験により、どの程度の精神的成長を遂げたか?ということが顔に出てくる。ましてや40にもなろうとすると、それまでやってきたことの影響が思い切り顔に出てくる。結果として、大人になればなるほど、賢い人は見た目も良くなる。
性欲がある程度強ければ、異性を誘惑するという、生存上もっとも戦略性が要求される行為について自発的に考える。特に取るべきコミュニケーションの内容や、自分の振る舞いが相手に与える影響をよく考えるようになるからか、結果としてある程度の知性を獲得するのだろうと思う。
もっとも、性欲が強すぎるとそれ自身が知性の獲得に障害となることもあるので、社会生活的に見てうまくいかないケースもある。
性欲が弱そうにみえるタイプは、やっぱりコミュニケーションのとりかたに問題が出てくる。実は、就職活動をするときにモテる人とモテナイ人の差は如実に出てしまう。
もっとも、将来的にどのような組み合わせが望ましいのかわからないという言い分もよく分かるつもりで、無駄なことなどないと信じたい。ただそのような言い方は、気の毒にも無い内定で落ち込んでいる学生を目の前にしてあまりにも無力である。
以上リハビリ終わり。
この記事を読む
ブログを書かなくなって久しいが、復活にむけリハビリがわりに増田に書いてみる。
もっとも、大学教員である私が学生指導を通じて感じた知性について今日は書きます。
知性と体力
知性が低いと思われている人の中には、単純に広義の体力がないケースが多い。病気がちであったり、何らかの事情により物事に集中出来なかったりするために、知性を獲得する上で必要な思考が妨げられているケースが多い。案外、中等教育期間中に体力づくりのための運動をすることは頭を良くするためにも大変理にかなっていると思う。また、特にチームスポーツであればリーダーシップを学べるので良いと思う。自分の子供にはそうさせてやりたい。
とくに運動が苦手な人を中心に、大学生になると定期的に運動する習慣を失う人が多いが、案外知性の獲得に向けてよろしくないような気がする。
基本的な知性
本能や感情を抑制するのがまずもって社会生活を送る上で求められる基本的な知性である。そして、それらの基本的な知性の多寡は生まれつきの要素が強いが、しつけによるものもあるだろう。もっとも、知性ある親はしっかりしつけるし、知性が獲得させた様々な社会的資源を活用して子育てするから、親は選べないということは本当に不公平なことであると思う。
人間は感情が優先される動物なので、都合の悪い(=悪い感情を引き起こす)現実は直視したがらない。そのため、基本的な知性が乏しい(=コントロールできる感情の水準が低い)と、自分にとって不都合な真実を理解しようとしないために、理解できる法則に限界がある。結果として応用的な知性(職業的に求められる能力など)も獲得されにくい。
良い人と稼ぐ人
もっとも、感情的にならず、冷静に周囲と調和できる人、いわゆる「良い人」が社会的に成功するとは限らない。全体的にみて、その様な人は所詮当たり障りのないことをしようとするから、つまらないことになる。社会的に成功する人、特に経済的に成功する人の中には、性格的にユニークな人が多い。やはり、人並み外れた目立ちたがりだったり、強い欲望を元に事業を成功させるような人は強烈なエネルギーを持ち回りを引っ張ったりする。その人が良い人である場合もあるが、その様な強烈な感情は何らかのコンプレックスであることも多く、「良い人」でないこともままある。
というより、日本的な文化の中で、冷静に周囲と調和して生きるよう指導されているのは、社会が安定を求めるがゆえに、大半の貧民・庶民に隷属を強要することの裏返しかもしれないとすら思う。一方、親が金持ちだったり、社会的なポジションを有するようなケースでは、根拠の無い自信を持っているような奴もいて、比較的楽にリーダーシップを握ったりするなど、成功に近づく。社会階層が最生産される精神構造がそこにはある。
知性と見た目
一定の素養がある人が習熟すると、だいたいの見た目や立ち振る舞いだけで、その人の知性の水準がわかってくるようになる。もっとも、その能力を獲得するためには、直感的に人を見る目を養わなければならない(少しシビアな)環境にいたかどうかが重要である。おそらく、過去の生活の結果に基づいて顔の形や立ち振る舞いと知性や性格との関係に関するデータベースができていて、それを無意識のうちに当てはめることでその推論が成立しているように思える。その構造を理解すると、第一印象に気を配ることは重要であることにも気づくだろう。だいたいにおいて、賢い人は見た目も良い。もっとも、私は「見た目」に二種類あると考えている。一つは持って生まれた「造作」の良し悪しであり、もう一つは後天的に獲得した、あるいは経験した感情によって作られる「面構え」のようなものだ。前者はいかんともしがたいは物理的必然であるが、後者は自分の心持ちによってある程度コントロールすることが可能である。(もっとも、そのそれを改善するような心持ちを持てるかどうかも基本的な知性によるのだが。)
10代の間の見た目はまだ前者の「造作」によるものが大きい。しかし、大学を卒業するぐらいの年令になると、どのような経験により、どの程度の精神的成長を遂げたか?ということが顔に出てくる。ましてや40にもなろうとすると、それまでやってきたことの影響が思い切り顔に出てくる。結果として、大人になればなるほど、賢い人は見た目も良くなる。
性欲と知性
性欲の強さは性格や知性にある程度の関係がある。社会生活をうまくこなすためには、強すぎても、弱すぎてもダメ。もっとも、ここで言う性欲とはある種のバイタリティの言い換えかもしれない。性欲がある程度強ければ、異性を誘惑するという、生存上もっとも戦略性が要求される行為について自発的に考える。特に取るべきコミュニケーションの内容や、自分の振る舞いが相手に与える影響をよく考えるようになるからか、結果としてある程度の知性を獲得するのだろうと思う。
もっとも、性欲が強すぎるとそれ自身が知性の獲得に障害となることもあるので、社会生活的に見てうまくいかないケースもある。
性欲が弱そうにみえるタイプは、やっぱりコミュニケーションのとりかたに問題が出てくる。実は、就職活動をするときにモテる人とモテナイ人の差は如実に出てしまう。
知性と選択
言うまでもないことだが、基本的な知性が乏しい人は、自分の能力を効果的に伸ばすための選択ができない。また、自分の適性もなかなか決め切れない。結果として解決すべき問題、獲得すべき能力に関して集中的に取り組むことをしないで、ばらばらで組み合わせの悪い能力を身につけたりする。あるいは単純に時間を浪費する。もっとも、将来的にどのような組み合わせが望ましいのかわからないという言い分もよく分かるつもりで、無駄なことなどないと信じたい。ただそのような言い方は、気の毒にも無い内定で落ち込んでいる学生を目の前にしてあまりにも無力である。
以上リハビリ終わり。