トカイとイナカとジャスコ
1 名前:以下、はてなにかわりまして元増田がお送りします。 投稿日:2010/08/31 20:31:34
ずっと「トカイ」にいかなければと思っていた。育った町は関東に位置している田舎だった。電車に乗れば東京までたかだか一時間半か二時間程度の場所でも、十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならなかった。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機で切符が買えなかった。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バスも早くて、夕方が差し迫ってくるともう乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。
電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜けるのも、夏になると井戸からくみ上げて田んぼに水を注ぎ込む小川も、稲穂の上を渡る金色に光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、そういうものすべてが呪わしかった。どこへ行くにも遠く、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかなくて、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンもみな忌み嫌っていた。私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。
高校を卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住処を確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日何時間もかけて都会へと通った。
私は住処を確保できた幸運な一人だった。山の手の静かな住宅地の中の、学生用の古い汚い部屋でも、私にとってそこは「トカイ」だった。駅に着くまで田畑はなく、家々は軒を並べ、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈は一定の間隔で並んで闇を追い払ってくれる。月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心が都会にはあった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。
都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミかミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、蚊に食われたといいながらよくベンチに座って、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。
田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅、サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているのに、どこかに必ず境目があって、境界付近で二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然は存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。
山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから、東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、それだけで田舎だと言っているけれど、田舎はそうじゃない。コンビニには車で出かけなければならないことも、コンビニは農協のようなものだということも、、新製品は何か月もしないとおかないような、そのくせいつからあるのかわからないような商品が段ボールで積み重ねてあるということも、あなたたちは知らない。発売と同時に新商品を手に取ることができる喜びにあなたたちは気づかない。駅と駅の間が近くて、自転車で行き来でき、一つの場所に店が集まっていないせいであちこち足を運ばなければいけない不便性は田舎のそれとは違う。大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎、邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎だ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。そういう光景をあなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか、町を広げていくことのできない田舎をあなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的地から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしないのが田舎だ。あなたたちはそれを知らない。
盆や正月に田舎に戻るとショッピングモールに結局集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかないから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野も秋葉原も新宿も池袋も渋谷も原宿も東京も丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。
ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら私は思う。下町のチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を田舎の人は、都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものだから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的に合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。
ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方のサービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせちの材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売り、揚げ物やしょうゆのにおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。
そうして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。私はABABでいいものがあれば買うし、同じようにしまむらで掘り出し物があれば買う。田舎よりも安くで手に入れることのできるものは都会で買い、田舎で安く買うことのできるものは田舎で買う。どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想でしかないということを私は長い都会生活の中で理解したのだ。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイ」のものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想でしかない。幻想でしかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときのトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ。
私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。
電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜けるのも、夏になると井戸からくみ上げて田んぼに水を注ぎ込む小川も、稲穂の上を渡る金色に光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、そういうものすべてが呪わしかった。どこへ行くにも遠く、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかなくて、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンもみな忌み嫌っていた。私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。
高校を卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住処を確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日何時間もかけて都会へと通った。
私は住処を確保できた幸運な一人だった。山の手の静かな住宅地の中の、学生用の古い汚い部屋でも、私にとってそこは「トカイ」だった。駅に着くまで田畑はなく、家々は軒を並べ、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈は一定の間隔で並んで闇を追い払ってくれる。月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心が都会にはあった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。
都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミかミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、蚊に食われたといいながらよくベンチに座って、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。
田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅、サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているのに、どこかに必ず境目があって、境界付近で二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然は存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。
山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから、東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、それだけで田舎だと言っているけれど、田舎はそうじゃない。コンビニには車で出かけなければならないことも、コンビニは農協のようなものだということも、、新製品は何か月もしないとおかないような、そのくせいつからあるのかわからないような商品が段ボールで積み重ねてあるということも、あなたたちは知らない。発売と同時に新商品を手に取ることができる喜びにあなたたちは気づかない。駅と駅の間が近くて、自転車で行き来でき、一つの場所に店が集まっていないせいであちこち足を運ばなければいけない不便性は田舎のそれとは違う。大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎、邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎だ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。そういう光景をあなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか、町を広げていくことのできない田舎をあなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的地から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしないのが田舎だ。あなたたちはそれを知らない。
盆や正月に田舎に戻るとショッピングモールに結局集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかないから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野も秋葉原も新宿も池袋も渋谷も原宿も東京も丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。
ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら私は思う。下町のチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を田舎の人は、都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものだから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的に合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。
ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方のサービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせちの材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売り、揚げ物やしょうゆのにおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。
そうして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。私はABABでいいものがあれば買うし、同じようにしまむらで掘り出し物があれば買う。田舎よりも安くで手に入れることのできるものは都会で買い、田舎で安く買うことのできるものは田舎で買う。どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想でしかないということを私は長い都会生活の中で理解したのだ。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイ」のものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想でしかない。幻想でしかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときのトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ。
私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。
2 名前:以下、はてなにかわりまして増田がお送りします。 投稿日:2010/08/31 21:12:20
バスが走ってるなんて、なんて都会だろう?
としか思えない。
こういうのってきりがなくね?
バスなんて、都内に来るまで乗り方知らなかった。
3 名前:以下、はてなにかわりまして増田がお送りします。 投稿日:2010/08/31 21:15:53としか思えない。
こういうのってきりがなくね?
バスなんて、都内に来るまで乗り方知らなかった。
>>2
元増田は田舎自慢なんかしてないだろ
全部読んで言ってるか?
4 名前:以下、はてなにかわりまして増田がお送りします。 投稿日:2010/08/31 21:17:18元増田は田舎自慢なんかしてないだろ
全部読んで言ってるか?
>>3
だれがじまんした?
5 名前:以下、はてなにかわりまして増田がお送りします。 投稿日:2010/08/31 21:21:35だれがじまんした?
>>4
20100831203134の増田。
あのな、どっちが田舎だって田舎度の話は全然してねえんだよ。
それなのに「お前のところなんか都会だろ。田舎ってのはうちみたいなところ。でも言い出すときりがなくね?」とか馬鹿なの死ぬの?
6 名前:以下、はてなにかわりまして増田がお送りします。 投稿日:2010/08/31 23:23:2020100831203134の増田。
あのな、どっちが田舎だって田舎度の話は全然してねえんだよ。
それなのに「お前のところなんか都会だろ。田舎ってのはうちみたいなところ。でも言い出すときりがなくね?」とか馬鹿なの死ぬの?
>>2
地方から出てきた人は、なんでバスに乗るときに戸惑うんだろう?
普通に金払って乗るだけなのに。
7 名前:以下、はてなにかわりまして増田がお送りします。 投稿日:2010/08/31 22:26:35地方から出てきた人は、なんでバスに乗るときに戸惑うんだろう?
普通に金払って乗るだけなのに。
これは良い文章。
しかし地方の人間って、普通ならダサくて仕方が無い安物の装飾品を、なんであんな高値で買うんだろう。いくらなんでも限度というものがあるだろうに。
まあそれだけ視野が狭いって事なんだよね。
その視野の狭さが日本を蝕んでいった。
仕方の無いことなのかもしれないけど。
8 名前:以下、はてなにかわりまして増田がお送りします。 投稿日:2010/08/31 22:35:03しかし地方の人間って、普通ならダサくて仕方が無い安物の装飾品を、なんであんな高値で買うんだろう。いくらなんでも限度というものがあるだろうに。
まあそれだけ視野が狭いって事なんだよね。
その視野の狭さが日本を蝕んでいった。
仕方の無いことなのかもしれないけど。
>>7
おまえ自身も人から全く同じ理由で見下されていることに気付こうな。
それが出来たらちょっとは賢くなれたってことだw
9 名前:以下、はてなにかわりまして増田がお送りします。 投稿日:2010/08/31 23:13:35おまえ自身も人から全く同じ理由で見下されていることに気付こうな。
それが出来たらちょっとは賢くなれたってことだw
>>8
人を見下す暇があるなら
東京に来れる能力を身につけようねw
10 名前:以下、はてなにかわりまして増田がお送りします。 投稿日:2010/08/31 23:12:27人を見下す暇があるなら
東京に来れる能力を身につけようねw
そんなこと、どーでもいーじゃないの?
11 名前:以下、はてなにかわりまして増田がお送りします。 投稿日:2010/08/31 23:18:17そうだねえ。どんなに「東京一極集中はよくない!」と叫んでも、東京の魅力は揺るがない。
そこに気づいた元増だから書ける文。
やはり田舎は嫌悪されるべき対象。
そこに気づいた元増だから書ける文。
やはり田舎は嫌悪されるべき対象。
コメント一覧
1001 名前:はてなようせい 投稿日:2010年09月01日 23:10
トナカイとジャスコって見えた
1002 名前:増田 投稿日:2010年09月01日 23:11
ジャスコがあれば十分都会だろ…
でも、ど田舎出身者って、都会の大学にいても、なんか目立つ。ものすごくダサイか、はりきっちゃった感満載のファッション
でも、ど田舎出身者って、都会の大学にいても、なんか目立つ。ものすごくダサイか、はりきっちゃった感満載のファッション
1003 名前:はてなようせい 投稿日:2010年09月01日 23:11
水虫や鬱や痔、中絶や性病の治療に行くなら都会に限ると思う。
田舎の病院の守秘義務ってホントにあてになるんだろうかと思うんだよな。
田舎の病院の守秘義務ってホントにあてになるんだろうかと思うんだよな。
1004 名前:はてなようせい 投稿日:2010年09月01日 23:20
短いセンテンスでまとめると読みやすくなるぞ
またひとつ賢くなったな
またひとつ賢くなったな
1005 名前:はてなようせい 投稿日:2010年09月01日 23:23
思春期に郊外出身者が都会に対して抱くある種の憧憬がよく書けてる
本記事2以下のコメは読む価値なし
本記事2以下のコメは読む価値なし
1006 名前:はてなようせい 投稿日:2010年09月01日 23:27
東京に全く魅力を感じないのはなぜだろう。
1007 名前:はてなようせい 投稿日:2010年09月01日 23:32
赤札堂にABABか。
生まれてから35年間、ここで言われている「トカイ」に住んでいた。
歩いて5分の千代田線根津駅から、毎日学校や会社に通った。
今やあえて「ノスタルジックな街並」を崩さないよう
住民が努力をして、その風景を維持している街だ。
「谷根千散歩」なんて言って、訪れる人たちの期待を裏切らないようにね。
仕事で身体を壊して、今はまさにここで言われている「イナカ」に住んでいる。
関東圏内にあり、電車に乗れば1〜2時間で東京に着くが
一本逃すと一時間待ちになり、隣は無人駅だ。
山々が連なる緑の稜線があり、秋は稲穂で一面が黄金に染まる。
最寄のコンビニにも車を使わなければならない。
しかし、この風景を呪わしいと思ったことはない。
それは恐らく、私が十分に成長してからここに移り住んだからなんだろう。
初めから「トカイ」に住んでしまった者には、
「トカイ」への身を焦がすような憧れも、「イナカ」への呪詛や憎悪も
そして同時に「イナカ」の故郷を思い出す時のセンチメントもない。
それは幸運なことなのかも知れないが、不幸なことなのかも知れない。
生まれてから35年間、ここで言われている「トカイ」に住んでいた。
歩いて5分の千代田線根津駅から、毎日学校や会社に通った。
今やあえて「ノスタルジックな街並」を崩さないよう
住民が努力をして、その風景を維持している街だ。
「谷根千散歩」なんて言って、訪れる人たちの期待を裏切らないようにね。
仕事で身体を壊して、今はまさにここで言われている「イナカ」に住んでいる。
関東圏内にあり、電車に乗れば1〜2時間で東京に着くが
一本逃すと一時間待ちになり、隣は無人駅だ。
山々が連なる緑の稜線があり、秋は稲穂で一面が黄金に染まる。
最寄のコンビニにも車を使わなければならない。
しかし、この風景を呪わしいと思ったことはない。
それは恐らく、私が十分に成長してからここに移り住んだからなんだろう。
初めから「トカイ」に住んでしまった者には、
「トカイ」への身を焦がすような憧れも、「イナカ」への呪詛や憎悪も
そして同時に「イナカ」の故郷を思い出す時のセンチメントもない。
それは幸運なことなのかも知れないが、不幸なことなのかも知れない。
1008 名前:1へ 投稿日:2010年09月01日 23:33
それは不便な田舎であって一般的なそれとは異なる事を元田舎スミのワタクシが証人となりますぞ。ぶっ
1009 名前:はてなようせい 投稿日:2010年09月02日 01:05
都会の地方TV局、例えばテレ東がゴールデンタイムに田舎賛美の番組ばかりやっているように、都会人もまた田舎に対する憧憬を持っている。これは若者よりも中年に差し掛かった辺りでふとかかる病気のようだ。
田舎→都会が思春期前後、都会→田舎が働き盛りの中年に多いというのは、やはり場所それ自体の価値というよりも、その場所でのみ成立する自己実現に関わる話なんだろうな。この場合前者はデビュー願望、後者はリタイヤ願望か。
田舎→都会が思春期前後、都会→田舎が働き盛りの中年に多いというのは、やはり場所それ自体の価値というよりも、その場所でのみ成立する自己実現に関わる話なんだろうな。この場合前者はデビュー願望、後者はリタイヤ願望か。
1010 名前:はてなようせい 投稿日:2010年09月02日 10:19
いつの時代の田舎だよ。
今時、離島でも丸井がスパークリングセールやってるって聞けばネットで自由に好きなだけ買える世の中なのに。
今時、離島でも丸井がスパークリングセールやってるって聞けばネットで自由に好きなだけ買える世の中なのに。
1011 名前:はてなようせい 投稿日:2010年09月02日 11:24
>>1
>便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイ」のものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。
ここら辺が主題なのか?
正直、俺にはいまいちよくわからん話だったんだが…
>便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイ」のものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。
ここら辺が主題なのか?
正直、俺にはいまいちよくわからん話だったんだが…
1012 名前:はてなようせい 投稿日:2010年09月02日 14:48
電車通ってるとかどこの田舎だよ
1013 名前:はてなようせい 投稿日:2010年09月02日 21:34
トナカイとイナゴとジャスコに見えた。
ジャスコの意外な事業展開の話かと思ったぜ・・・
ジャスコの意外な事業展開の話かと思ったぜ・・・
1014 名前:はてなようせい 投稿日:2010年09月02日 22:28
田舎のショッピングモール市場はジャスコの一人勝ちなの?
とにかくジャスコ無双だって話でしょこれ。
とにかくジャスコ無双だって話でしょこれ。
1015 名前:はてなようせい 投稿日:2010年09月03日 09:11
幻想に気付く為にも若い頃一度「トカイ」に住んでみるのは悪くない。知ってしまえば「イナカ」暮らしのコンプレックスはなくなるよ。
1016 名前:はてなようせい 投稿日:2010年09月03日 22:16
あーまさにこの元増田と同じような憧れと忌避を持って育ったなあ
>地方から出てきた人は、なんでバスに乗るときに戸惑うんだろう?
>普通に金払って乗るだけなのに。
前から乗ることに驚き、料金が一律で整理券がないことに驚く
先払いとかもあるしね
>地方から出てきた人は、なんでバスに乗るときに戸惑うんだろう?
>普通に金払って乗るだけなのに。
前から乗ることに驚き、料金が一律で整理券がないことに驚く
先払いとかもあるしね
1017 名前:はてなようせい 投稿日:2010年09月04日 01:05
いい文章だなぁ。
途中で本人が気付かない間に
田舎擁護風の文章に読めなくもないところがリアルでいい。
あれだな。
田舎者って必要以上に田舎者っていう自分を気にするよな。
都会に住んでた人なんか絶対田舎者を馬鹿にしないし。
田舎者を馬鹿にするのは田舎者だけ。
途中で本人が気付かない間に
田舎擁護風の文章に読めなくもないところがリアルでいい。
あれだな。
田舎者って必要以上に田舎者っていう自分を気にするよな。
都会に住んでた人なんか絶対田舎者を馬鹿にしないし。
田舎者を馬鹿にするのは田舎者だけ。
1018 名前:はてなようせい 投稿日:2010年09月04日 17:18
※1006
それは今の君が幸せだからだ。
俺は不幸なことに東京が大好きだ。
それは今の君が幸せだからだ。
俺は不幸なことに東京が大好きだ。
1019 名前:はてなようせい 投稿日:2010年09月05日 12:55
清涼感を感じさせるいい文章だな。
それにしても東京か。
遠いせいかハンパな田舎者なせいかあんまり憧れとかないなあ。
…やっぱり田舎者だからかな、車が使いにくそうだからあんまり惹かれない。
オレは大阪とか名古屋で十分だわ。
それにしても東京か。
遠いせいかハンパな田舎者なせいかあんまり憧れとかないなあ。
…やっぱり田舎者だからかな、車が使いにくそうだからあんまり惹かれない。
オレは大阪とか名古屋で十分だわ。
1020 名前:はてなようせい 投稿日:2010年09月05日 21:14
同じくトナカイw
1021 名前:はてなようせい 投稿日:2010年09月07日 18:03
とりあえず文章がなげーよ。爆笑
田舎の特徴は何故かジャスコが流行っている事。爆笑
ここ数年 ジャスコは出店数を伸ばしているので田舎の人たちにとってジャスコは遊園地なんだよ 例え若者にとって遊ぶ所もなくても田舎の年寄りには遊園地なんだよ。爆笑
スーパーがあって駐車場も広くてフードコートがあって食べられるなんて・・・・。爆笑
それが嫌なら都会に出るしかない。爆笑
田舎の特徴は何故かジャスコが流行っている事。爆笑
ここ数年 ジャスコは出店数を伸ばしているので田舎の人たちにとってジャスコは遊園地なんだよ 例え若者にとって遊ぶ所もなくても田舎の年寄りには遊園地なんだよ。爆笑
スーパーがあって駐車場も広くてフードコートがあって食べられるなんて・・・・。爆笑
それが嫌なら都会に出るしかない。爆笑
1022 名前:はてなようせい 投稿日:2010年09月08日 13:10
これ関東地方の「イナカ」の特徴じゃないなのかな。
学生時代にいた関東平野の田舎町はこんなかんじだった。でも実家が中国地方でいま関西住みだけど、どっちも地元を普通に愛していて
東京は仕事や遊びに行く場所にすぎないんだよね。
学生時代にいた関東平野の田舎町はこんなかんじだった。でも実家が中国地方でいま関西住みだけど、どっちも地元を普通に愛していて
東京は仕事や遊びに行く場所にすぎないんだよね。
